――「愛されたい、ただそれだけだった」
回復の途中で、私は「人を好きになること」にも戸惑うようになっていきました。
誰かと関わるたびに、心が揺れて、不安になって、傷つくことが怖くなったのです。
「こんなふうに苦しくなるなら、誰も好きにならなければいい」――そう思ったこともありました。
けれど、そんな感情の奥にある本当の思いと向き合ったとき、私は初めて“恋愛依存”という言葉と出会いました。
私は昔から、恋愛に“救い”を求めていました。
誰かに必要とされること、
“特別な存在”になること。
それが自分の存在価値だと思っていたのです。
小さな頃から、自分は「そのまま」では愛されないと思い込んでいました。
いい子にしていないと、努力しないと、役に立たないと――
人に愛される理由がないと思っていたのです。
そんな私にとって、「恋愛」は初めて手にした温もりのようなものでした。
好きな人ができると、その人の言動に一喜一憂しました。
LINEの既読がつくたびにドキドキして、返信が遅いと不安で胸が苦しくなった。
「私、なにか嫌なこと言っちゃったかな」
「迷惑かけてないかな」
頭の中はその人のことでいっぱいで、
でも、その人がいなくなることをいつもどこかで恐れていた。
「愛されている」という感覚は、
まるで“砂の上に立っている”ような不安定さだったのです。
思えば、私は“恋愛”をしていたのではなく、
“依存”していたのだと思います。
自分で自分を支えられないから、
誰かに「あなたは大丈夫だよ」と言ってもらいたくて。
誰かの存在に寄りかかっていないと、
生きている実感すら得られなかったのです。
でも、その関係が壊れたとき、私は空っぽになってしまいました。
喪失感は、相手を失った悲しさではなく、
「私には価値がない」という感情がまた押し寄せてくる怖さだった。
「この人にとって意味のある存在じゃなければ、私の価値はゼロなんだ」
そう思い込んで、泣いて、苦しんで、また誰かに救いを求めていたのです。
カウンセリングの中で、先生にこう言われたことがあります。
「あなたは“誰かにとって意味のある存在”じゃなくても、“あなた自身”として意味があるんです」
最初は、まるでピンと来ませんでした。
でも何度もその言葉を聞いて、ふと気づいたのです。
“愛される価値は、生きているだけで本当はある”のだと。
恋愛依存から少しずつ離れられるようになったのは、
自分の中に“安心できる居場所”をつくり始めたからだと思います。
ひとりで過ごす時間が、少しずつ苦じゃなくなってきました。
不安になったとき、「大丈夫、わたしは大丈夫」って、自分で言えるようにもなりました。
それでも今でも、恋愛をすると心がざわつくことはあります。
でもそれは、“私の傾向”なんだと、自分を理解していれば、
以前よりも冷静に向き合えるようになってきました。
誰かを本当に愛するためには、
まず自分を愛してあげなければならない。
そのことに、ようやく気づいた気がします。
“愛されたい私”から、
“愛してあげられる私”へ。
少しずつ、少しずつだけど、
私は、自分の足で立てるようになってきました。