第6章 恋愛依存と喪失

うつ病体験記

――「愛されたい、ただそれだけだった」

回復の途中で、私は「人を好きになること」にも戸惑うようになっていきました。

誰かと関わるたびに、心が揺れて、不安になって、傷つくことが怖くなったのです。

「こんなふうに苦しくなるなら、誰も好きにならなければいい」――そう思ったこともありました。

けれど、そんな感情の奥にある本当の思いと向き合ったとき、私は初めて“恋愛依存”という言葉と出会いました。


私は昔から、恋愛に“救い”を求めていました。

誰かに必要とされること、

“特別な存在”になること。

それが自分の存在価値だと思っていたのです。

小さな頃から、自分は「そのまま」では愛されないと思い込んでいました。

いい子にしていないと、努力しないと、役に立たないと――

人に愛される理由がないと思っていたのです。

そんな私にとって、「恋愛」は初めて手にした温もりのようなものでした。

好きな人ができると、その人の言動に一喜一憂しました。

LINEの既読がつくたびにドキドキして、返信が遅いと不安で胸が苦しくなった。

「私、なにか嫌なこと言っちゃったかな」

「迷惑かけてないかな」

頭の中はその人のことでいっぱいで、

でも、その人がいなくなることをいつもどこかで恐れていた。

「愛されている」という感覚は、

まるで“砂の上に立っている”ような不安定さだったのです。

思えば、私は“恋愛”をしていたのではなく、

“依存”していたのだと思います。

自分で自分を支えられないから、

誰かに「あなたは大丈夫だよ」と言ってもらいたくて。

誰かの存在に寄りかかっていないと、

生きている実感すら得られなかったのです。

でも、その関係が壊れたとき、私は空っぽになってしまいました。

喪失感は、相手を失った悲しさではなく、

「私には価値がない」という感情がまた押し寄せてくる怖さだった。

「この人にとって意味のある存在じゃなければ、私の価値はゼロなんだ」

そう思い込んで、泣いて、苦しんで、また誰かに救いを求めていたのです。

カウンセリングの中で、先生にこう言われたことがあります。

「あなたは“誰かにとって意味のある存在”じゃなくても、“あなた自身”として意味があるんです」

最初は、まるでピンと来ませんでした。

でも何度もその言葉を聞いて、ふと気づいたのです。

“愛される価値は、生きているだけで本当はある”のだと。

恋愛依存から少しずつ離れられるようになったのは、

自分の中に“安心できる居場所”をつくり始めたからだと思います。

ひとりで過ごす時間が、少しずつ苦じゃなくなってきました。

不安になったとき、「大丈夫、わたしは大丈夫」って、自分で言えるようにもなりました。

それでも今でも、恋愛をすると心がざわつくことはあります。

でもそれは、“私の傾向”なんだと、自分を理解していれば、

以前よりも冷静に向き合えるようになってきました。

誰かを本当に愛するためには、

まず自分を愛してあげなければならない。

そのことに、ようやく気づいた気がします。

“愛されたい私”から、

“愛してあげられる私”へ。

少しずつ、少しずつだけど、

私は、自分の足で立てるようになってきました。

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