――「“普通じゃない”自分を受け入れる勇気」
病気とともに生きる時間が長くなる中で、私は「制度を使うこと」への葛藤と向き合っていくことになりました。
誰かに頼ること、助けを受けること、社会的な支援を利用すること――
そのひとつひとつが、当時の私には「敗北」のように思えていたのです。
でも、それは本当に「負け」だったのでしょうか。
この章では、私が「障害者として生きること」を受け入れていく過程を綴ります。
「障害者手帳を取ったら、“普通の人間”じゃなくなる気がして怖い」
かつての私は、そう思っていました。
“障害者”という言葉を自分に重ねることに、強い抵抗がありました。
本当にそんな存在になってしまったら、もう二度と社会に戻れないんじゃないか。
助けを求めたくて仕方がないのに、そう思う自分がいて、ずっと揺れていました。
でも、ある日のカウンセリングで、先生がこう言ったのです。
「“普通”って、誰の基準ですか?」
その言葉にはっとしました。
私はいつからか“社会が求める普通”を生きようとして、苦しんでいたのかもしれません。
自分の感覚、自分の限界を後回しにして、“普通のふり”をすることで、何とか保とうとしていたのです。
そこから、私は少しずつ「制度を使って生きる」という選択肢を受け入れるようになりました。
障害者手帳の申請を決意し、診断書を用意して、何枚も書類を書いて、役所へ出向きました。
そのひとつひとつが思っていたよりもしんどくて、
「ここまでしなきゃいけないのか」と何度も心が折れそうになったけれど、
“今の自分を守るための行動”だと、自分に言い聞かせて進めていきました。
結果、「精神障害者保健福祉手帳・2級」が交付されました。
小さな手帳の中に、今の私の状態が記されている。
それを見たとき、ほんの少しだけ、泣きました。
悲しさよりも、「認めてもらえた」という安堵の涙だった気がします。
続いて取り組んだのは、障害年金の申請です。
これも、病歴・就労状況等申立書という細かな記録を書く必要がありました。
書きながら、過去の自分と向き合わなければならず、
「自分は本当に助けてもらっていいのだろうか」と葛藤する日々が続きました。
けれど、私は一つひとつの記録に、自分なりの言葉を込めました。
誰も見ていなかった私の苦しみを、私だけでも認めたかったからです。
そして、年金の受給が決定したとき、私は少しだけ、肩の荷が下りたような気がしました。
もちろん、それで終わりではありません。
制度を使えば使うほど、「いつか返さなければいけないんじゃないか」というような、
理由のない罪悪感に苛まれることもありました。
「働かなきゃ」「でも働けない」「でも誰かの役に立たなきゃ」
そんな焦りが募る中で、“就労移行支援”も利用しました。
けれど、私には合いませんでした。
決められた時間に通うこと、プログラムに合わせること。
それがあまりにもしんどくて、通うたびに自己否定が強くなってしまったからです。
今は、週3日のパート勤務。
これが、今の私にはちょうどいいペースです。
焦らず、自分の「できること」に目を向ける練習を続けています。
障害者手帳を持つことも、年金をもらうことも、
“逃げ”でも“甘え”でもなく、「生きるための選択肢」です。
「支援を受けて生きること」と、「堂々と社会にいること」は、両立していい。
私はようやくそのことを、自分に許せるようになってきました。
“普通じゃない自分”を責め続けるのではなく、
「私は、私として生きていく」と、静かに決めた章でした。