第3章 診断と治療の始まり

うつ病体験記

――「私はもう、逃げてもいいのかもしれない」

心も体も限界だったけれど、それでも「まだ頑張らなきゃ」と思い続けていました。

そんな私がようやく病院の扉を開けたのは、「これ以上は無理だ」と本当の意味で自分が気づいたからでした。

初めて「逃げてもいいのかもしれない」と思えたことが、治療のはじまりでした。


高速バスの中で、大きな発作が起きました。

汗が噴き出し、息が苦しくなり、周囲の音がどんどん遠のいていきました。

目の前の景色がぐにゃりと歪んで、全身の力が抜けていくような感覚――

「死んでしまうかもしれない」

そう本気で思ったのは、あのときが初めてでした。

その日を境に、私はついに病院へ行くことを決めました。

精神科の扉の前で、足がすくみました。

「まだ私は頑張れるかもしれない」

「これは気のせいなんじゃないか」

「“心の病気”なんて、認めたくない」

そんな思いがずっと頭の中で渦巻いていました。

でも、もう限界でした。体も心も、とうに耐えきれなくなっていたのです。

診察室で、優しい口調の医師がこう言いました。

「これは、パニック障害ですね」

その瞬間、張りつめていた何かがぷつんと切れて、涙が止まりませんでした。

悲しいわけではありませんでした。絶望したのでもありません。

ようやく誰かが、「もう頑張らなくていい」と言ってくれた気がしたのです。

休職の決断も、簡単ではありませんでした。

「私はダメな人間になってしまうんじゃないか」

「もう戻れなくなってしまうんじゃないか」

そんな不安でいっぱいでしたが、それでも、もう続けることはできませんでした。

休職に入っても、すぐに心が軽くなるわけではありませんでした。

むしろ、ようやく止まった時計の針の前で、私はどうしていいのか分からなくなってしまったのです。

朝起きても体が動かず、眠れない夜が続きました。

薬を飲むと頭がぼんやりして、ただ1日が過ぎていく。

「このままずっと治らなかったらどうしよう」

そんな不安が、心の片隅にじっと座り続けていました。

でも、少しずつ変化もありました。

主治医はいつも「無理をしなくていい」と言ってくれました。

「ただ休むだけでも、十分に治療なんですよ」と。

その言葉に、救われるような気がしました。

カウンセリングも始まりました。

最初はうまく話せなかったけれど、

あるとき「私は、本当はずっと助けてほしかった」

そう口にした瞬間、涙が止まりませんでした。

私は、誰かにわかってほしかったのです。

「頑張らなくていいよ」って、言ってほしかったのです。

ようやく、自分の弱さを「弱さのまま」認められた気がしました。

治療は、魔法のようには進みませんでした。

でも、「今日も無事に終わった」「朝、起きられた」

そんな小さな出来事が、ひとつひとつ希望に変わっていきました。

「私は逃げてもいい」

そう思えたことが、私にとっての第一歩だったのです。

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