第9章:障害者として生きる、手帳と年金、障害者雇用

うつ病体験記

――「“普通じゃない”自分を受け入れる勇気」

病気とともに生きる時間が長くなる中で、私は「制度を使うこと」への葛藤と向き合っていくことになりました。

誰かに頼ること、助けを受けること、社会的な支援を利用すること――

そのひとつひとつが、当時の私には「敗北」のように思えていたのです。

でも、それは本当に「負け」だったのでしょうか。

この章では、私が「障害者として生きること」を受け入れていく過程を綴ります。


「障害者手帳を取ったら、“普通の人間”じゃなくなる気がして怖い」

かつての私は、そう思っていました。

“障害者”という言葉を自分に重ねることに、強い抵抗がありました。

本当にそんな存在になってしまったら、もう二度と社会に戻れないんじゃないか。

助けを求めたくて仕方がないのに、そう思う自分がいて、ずっと揺れていました。

でも、ある日のカウンセリングで、先生がこう言ったのです。

「“普通”って、誰の基準ですか?」

その言葉にはっとしました。

私はいつからか“社会が求める普通”を生きようとして、苦しんでいたのかもしれません。

自分の感覚、自分の限界を後回しにして、“普通のふり”をすることで、何とか保とうとしていたのです。

そこから、私は少しずつ「制度を使って生きる」という選択肢を受け入れるようになりました。

障害者手帳の申請を決意し、診断書を用意して、何枚も書類を書いて、役所へ出向きました。

そのひとつひとつが思っていたよりもしんどくて、

「ここまでしなきゃいけないのか」と何度も心が折れそうになったけれど、

“今の自分を守るための行動”だと、自分に言い聞かせて進めていきました。

結果、「精神障害者保健福祉手帳・2級」が交付されました。

小さな手帳の中に、今の私の状態が記されている。

それを見たとき、ほんの少しだけ、泣きました。

悲しさよりも、「認めてもらえた」という安堵の涙だった気がします。

続いて取り組んだのは、障害年金の申請です。

これも、病歴・就労状況等申立書という細かな記録を書く必要がありました。

書きながら、過去の自分と向き合わなければならず、

「自分は本当に助けてもらっていいのだろうか」と葛藤する日々が続きました。

けれど、私は一つひとつの記録に、自分なりの言葉を込めました。

誰も見ていなかった私の苦しみを、私だけでも認めたかったからです。

そして、年金の受給が決定したとき、私は少しだけ、肩の荷が下りたような気がしました。

もちろん、それで終わりではありません。

制度を使えば使うほど、「いつか返さなければいけないんじゃないか」というような、

理由のない罪悪感に苛まれることもありました。

「働かなきゃ」「でも働けない」「でも誰かの役に立たなきゃ」

そんな焦りが募る中で、“就労移行支援”も利用しました。

けれど、私には合いませんでした。

決められた時間に通うこと、プログラムに合わせること。

それがあまりにもしんどくて、通うたびに自己否定が強くなってしまったからです。

今は、週3日のパート勤務。

これが、今の私にはちょうどいいペースです。

焦らず、自分の「できること」に目を向ける練習を続けています。

障害者手帳を持つことも、年金をもらうことも、

“逃げ”でも“甘え”でもなく、「生きるための選択肢」です。

「支援を受けて生きること」と、「堂々と社会にいること」は、両立していい。

私はようやくそのことを、自分に許せるようになってきました。

“普通じゃない自分”を責め続けるのではなく、

「私は、私として生きていく」と、静かに決めた章でした。

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