――「私はもう、逃げてもいいのかもしれない」
心も体も限界だったけれど、それでも「まだ頑張らなきゃ」と思い続けていました。
そんな私がようやく病院の扉を開けたのは、「これ以上は無理だ」と本当の意味で自分が気づいたからでした。
初めて「逃げてもいいのかもしれない」と思えたことが、治療のはじまりでした。
高速バスの中で、大きな発作が起きました。
汗が噴き出し、息が苦しくなり、周囲の音がどんどん遠のいていきました。
目の前の景色がぐにゃりと歪んで、全身の力が抜けていくような感覚――
「死んでしまうかもしれない」
そう本気で思ったのは、あのときが初めてでした。
その日を境に、私はついに病院へ行くことを決めました。
精神科の扉の前で、足がすくみました。
「まだ私は頑張れるかもしれない」
「これは気のせいなんじゃないか」
「“心の病気”なんて、認めたくない」
そんな思いがずっと頭の中で渦巻いていました。
でも、もう限界でした。体も心も、とうに耐えきれなくなっていたのです。
診察室で、優しい口調の医師がこう言いました。
「これは、パニック障害ですね」
その瞬間、張りつめていた何かがぷつんと切れて、涙が止まりませんでした。
悲しいわけではありませんでした。絶望したのでもありません。
ようやく誰かが、「もう頑張らなくていい」と言ってくれた気がしたのです。
休職の決断も、簡単ではありませんでした。
「私はダメな人間になってしまうんじゃないか」
「もう戻れなくなってしまうんじゃないか」
そんな不安でいっぱいでしたが、それでも、もう続けることはできませんでした。
休職に入っても、すぐに心が軽くなるわけではありませんでした。
むしろ、ようやく止まった時計の針の前で、私はどうしていいのか分からなくなってしまったのです。
朝起きても体が動かず、眠れない夜が続きました。
薬を飲むと頭がぼんやりして、ただ1日が過ぎていく。
「このままずっと治らなかったらどうしよう」
そんな不安が、心の片隅にじっと座り続けていました。
でも、少しずつ変化もありました。
主治医はいつも「無理をしなくていい」と言ってくれました。
「ただ休むだけでも、十分に治療なんですよ」と。
その言葉に、救われるような気がしました。
カウンセリングも始まりました。
最初はうまく話せなかったけれど、
あるとき「私は、本当はずっと助けてほしかった」
そう口にした瞬間、涙が止まりませんでした。
私は、誰かにわかってほしかったのです。
「頑張らなくていいよ」って、言ってほしかったのです。
ようやく、自分の弱さを「弱さのまま」認められた気がしました。
治療は、魔法のようには進みませんでした。
でも、「今日も無事に終わった」「朝、起きられた」
そんな小さな出来事が、ひとつひとつ希望に変わっていきました。
「私は逃げてもいい」
そう思えたことが、私にとっての第一歩だったのです。